151 はしもとみお さんの愛犬たち

耳をピンと立てた、賢い柴犬たちです。

画像

彼らはここで生まれました。
作っているのは、はしもとみお さんです。

画像

そして、いま、彼らはここにいます。
名古屋のヤマザキマザック美術館です。

画像


はしもとみお さんの、「木彫りのどうぶつ美術館」が開かれている。(上2点、同パンフレット)(会場のスナップは私の撮影、会場内は、フラッシュ、動画以外は撮影可)

この人は半端ではない。
動物たちは、人に寄り添うかのように温かく、人々に見つめられ、やさしく撫でられて、満足しているようだ。
ことに、等身大に近い犬たちは、私の好みの柴犬だから、野性を持つ。
野性があるから、人と語り合える。

画像そして、ユニクロのヒートテックの肌着のモデルにもなれるようなこの人は、やわな両手で、クスノキの塊から動物を産む以外に興味はないとでもいうかのように、いろいろな動物を多彩な動作や、微妙な表情で、夥しい数の「子どもたち」を作ってきた。

これだけのたくさんの動物を、手抜きすることなく、作ろうと思ったら、彼女に、睡眠をとる時間がないはずだ。

そして、動物たちは、生きているように人に寄り添っているように心を持つが、その存在感は、アートの力だ。(写真、朝日新聞、20117日付不詳)

画像この夏、岡崎のおかざき世界こども美術博物館で開催されていたときは、何度も見に行こうと思いながら、公共交通機関が不便なので、タクシーでも使えばいいのに、結局諦めてしまった。

市の施設なのに、まして、子ども向けの美術館なのに、どうして市バスが停まらないのかと電話で文句を言うと、「以前は停まったんですけどね」と素っ気ない返事が反感を招きもした。

ネイチャー系のこのブログに載せたいアートなのに、やはり実際に見に行っていないのは、アコヤガイがかけらをぐるぐる巻いて真珠を作るように、「体験のかけら」がないので、ブログで取り上げるのを控えていた。(右、同チラシ)

画像今度は、広告の仕事の現役時代に、退職直後に大先輩に拾われてお世話になった事務所があるなじみの場所であり、新栄町には飲み屋もあったし、さっそく出かけた。


画像岡崎のときは、時期と場所で、多分、親子連れが多かったのだろうが、ここは、必ずしもペットファンでもなく、ロココ時代以降のコレクションも多いこのミュージアムの雰囲気に合って、おしゃれな女性たちやご夫婦も多くて、客と動物との馴染む風景も、アートな感覚にあふれていて、居心地がいい。
土曜日なのに、子どもたちや学生は見かけなかった。

画像はしもとみお さんは、獣医師を夢見る動物好きの少女だったが、尼崎市にいた中学3年生の冬に、阪神淡路大震災で、かわいがっていた近所の犬や猫が一匹残らず姿を消した。命を落としたのか、無事に逃げたのか、わからない。

もう一度会いたくても、獣医師では、なくなった命は救えない。でも、彫刻で形を残せば、ずっとその子に会えるし、撫でてあげられる。(写真、岡崎でのチラシ)

夥しい作品には、すべて、その作意が込められているかのように、生き生きといまにも動き出すかのようだ。(中日新聞、2017.12.1、開催前にアトリエを訪ねた記事、以下も)

画像東京造形大学と愛知県立芸術大学大学院で彫刻を専攻して、在学中から個展を開いて注目されてきた、と記事にある。

彼女の大学時代の創作活動を、愛犬の「月くん」が支えてきた。胸に三日月の模様がある柴犬である。

画像美術館や旅行にもいっしょに出かけて、最高の犬を作る彫刻家になりたいと、付き合い、1000枚のスケッチも描いた。
今年8月、15年ほど共にした月くんが亡くなって、今回の個展では、月くんの彫刻も初めて一堂に展示したのだという。
私は、床に腰を下ろして撮っておいた。(右上)

それにしても、信じられないのは、この夥しい動物たちが、やさしい若い女性の手で彫り出されたのだ。
「長く考えすぎるとろくなことがない。直感でズバッと入れた彫りがたいてい正確です。」

画像クスノキの木から、でっかいものは初めはチェーンソーにかけるが、すべて鑿で削っていく。

岡崎のときにチラシ(裏面)で使われたオランウータンがいちばん大きいのだろう、ここでは豪華なディナーのテーブルの主賓におさまっている。招かれているのもお猿さんたちだ。

それぞれの動物の動きは千差万別で、表情も異なる。

彼女のアトリエは田畑に囲まれた、三重県のいなべ市にある。
二代目の月くんもここでなら、のびのびと暮らせるのだろう。
三重県は私が中学生の、昆虫少年の頃に住んでいたところだ。

画像私が観に行って帰るとき、ふと、私も小学生、中学生の頃に可愛がっていた雑種のユリーのことを思い出した。(このブログ、143章、犬や猫はペットではなく家族なのだ、もうひとつのブログ、アドマンの仕事遊び、175章、馬と人とはわかり合える)

つい最近、このブログにも、いざというとき、愛犬は飼主にどんなに深く寄り添っているかがわかる、という話を載せたことがあって、犬と人との交感の確かさを思い出した。

余計なことを考えない素直な子供の方が、犬とストレートにわかり合えるような気がする。
田舎の母屋に租界をしていたころ、分家とはいえ、酒蔵の豪邸のかなり広い庭を、コの字型に取り巻いた道路の、まだ向こう側を、学校から帰る私を知って、ユリーが吼えるのだと母がよく言っていた。(右2点、私が小学生の頃、三重県河芸郡で)

画像そのブログに、いまのペットブームの時代に、愛玩されているようなワンちゃんを私は好きではないし、はしもとみお さんの作品になかったことは、私にとって救いだった。

服を着せられて、籠に入れられて、抱っこされる、人形代わりのワンコは、飼主を癒してくれているのだろうが、野性が感じられないし、対等の関係になりにくい。

ペットブームを嫌うわけではないが、犬と人とのかかわりの豊かさは、野性があって生まれるものだと思うからだ。
愛犬は飼主に怒ることもあれば、噛むこともある。
でも、そのとき、飼主が、私のイメージでは子どもなのだが、もし倒れたり、傷ついたりすれば、人が気がつくまで、舐めまわしているのではないだろうか。
場合によっては、赤ちゃんが噛まれるなどの事故になることもまれにはあるが、人が人を殺すほど多くは新聞には載らない。

画像はしもとみお さんには、ペットのメモリアルとしての仕事もあるだろうし、そうした見方の方が正しいのだろうが、彼女の作品を、むしろ、「自然への入り口」として見て欲しいと思っている。

作品の中に小亀がぞろぞろと数珠つなぎだったり、いつもこうして前方をうかがっているミーアキャットたちが演奏している立ち姿は、彼女が自然に親しんでこそのユーモアだろう。

画像

私は子どものころ、愛犬を飼っていたことにもよるが、大人になってからも、ディズニーの漫画映画(アニメではなくセルの一枚一枚の手描きなのだ)の基礎に、動物の仕草への驚きや愛情があることを、よく知っていた。

ともかく理屈抜きに、動物好きなら、彫刻好きなら、身近にペットがいるのなら、あるいはペットを亡くされた方ならなおのこと、アートを好きなすべての方に、おしゃれに見て欲しい、どうぶつのアート展である。(2018.2.25まで、ヤマザキマザック美術館、名古屋市新栄町)(上写真、中日新聞、2017.12.1)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック